同窓会は14時からなのですが、12時から準備にはいるということで私も何かお手伝いをと、12時過ぎに学校に入りました。
実家から3年間(4年生~6年生)通った通学路を久しぶりに歩きました。
ニュータウンにある母校は自宅から学校まで駐車スペースになっている所以外は車両が進入できないので、通学路で「車に気をつける」という心配はありませんでした。
学校への道のりが昔より短く感じるのは、単に自分が大きくなったからだけではないようです。
逸る気持ちを抑えきれず早足で通用門を通過して、心臓破りの坂道を上り正門まで行くと、今度は誰も気が付いてくれへんかったら、どうしよう・・とか思って、怖々正門を開けると、丁度、荷物を運んでいたおじさん達が・・『あれ、○○くんや・・』と思うと同時に、向こうから「久しぶり!場所わかる?」と声を掛けてきてくれました。その一言でいっぺんに心配が吹っ飛びました。
懐かしい校舎、プール、体育館、校庭を見ながら会場となる教室(生徒数の減少で現在は地域交流室として地域住民に開放しています)への入り口のドアを開けると、めちゃめちゃ懐かしい顔が並んでいました。
“わ~”“きゃ~”と殆ど叫び声と共に抱きつく。(笑)ハグのしっぱなしでした。
女子(小学生に戻ってこう呼びます)はみんな全然変わってないです。(なくはないですけど)
でも、男子は・・あれ誰??って聞きまくり。名前を言われるたびに“へ~”“ほぉ~”(笑)
お手伝いの名札(卒業アルバムをコピーした顔写真を貼付)を作りながら、懐かしさが甦って来ます。カッターを持つ手が震えて震えて・・
開始時刻の一時間前くらいから次々と参加者が入って来て、そのたびにやっぱり“わ~”“きゃ~”“へ~”“ほぉ~”とハグの繰り返し。(いつから外人になったんや!!)
同窓会が始まるまでにテンションが上がって酸欠状態。
北海道から来てくれたり、オーストラリアから来てくれたりと、全国に散らばった同級生が又母校に集まること80人。
その80人が一つの教室に詰め込まれたんだから、その人口密度の高さと言ったら・・
30分遅れで始まり、乾杯と軽食(テーブルに所狭しと並べられた食べ物は2ヶ月前から幹事さんが少ない予算の中で精一杯のことをと、集めてきてくれたものだそうです)で歓談後、教室を見学。特に音楽教室は思い入れのある教室で、みなさんも感慨深げに見入っていました。(音楽の授業はアンサンブルと称して生徒全員が楽器を演奏できる内容になっていました。オルガン、木琴、マリンバ、鉄琴、グロッケン、リコーダーを持ち回りで唱歌などを演奏して発表会もありました)
それから誰かが一声「体育館に行こう!」と言えば、ぞろぞろと・・
目的はもちろん「ドッジボール」
小学生の頃、いっちばん流行ったんですよ。休み時間には陣地取りの子がチャイムと共にダッシュしてました。
最初は“わ~”“きゃ~”だったのが、どんどんマジになってきて、バンバン当てては外へ、又当てては中へ・・
そして・・ボールを受けた男子が足を滑らせて、そのまま前向きに転倒。流血沙汰になってしまい、救急車を呼ぶ大惨事になってしまいました。
ただ、傷口に貼った「アンパンマン」の絆創膏が、その場の緊張感を無くしてしまいましたが・・
手が痺れると言うので、念のため検査して貰うために病院に行きましたが、二次会の途中で元気な姿を見せてくれました。
教室に戻ると、遅れてきていた恩師と挨拶。
84才の恩師は体調も優れなかったのですが、来て下さいました。
恩師の挨拶を皮切りに各先生方の挨拶。用事で参加できなかった先生の手紙の朗読と、今回の幹事さんの挨拶、その幹事さんへ感謝の挨拶で同窓会は終了しました。
今回、このような盛大な同窓会を開催して下さった幹事のみなさんには、本当にお世話になりました。mixiのコミュなんて大したネットワークではなく、本当に幹事さんが卒業名簿を宛に一人一人訪ねて回ったそうです。そうして集まった80人(途中から参加された方や、二次会からの参加者も入れると100人近くになるそうです)はみんな素敵な“おじちゃん”“おばちゃん”になって、昔より優しく頼もしく・・そして大人になっていました。
今回の事で、改めてみんなの繋がりも出来たし、年賀状だけ・・っていう友達との再会も新たな友情が生まれました。
夏には中学校(中学校は2校の小学校が通っていました)の同窓会も予定しているとか・・
当分は同窓会が流行りそうです。(小学校のクラス会もしようという声もあがってるし)